カヤック
2021年07月02日(金)
大村湾 漕査 第21レグ(江上浦)
2021年6月6日に漕ぐ。
今日は大村湾の最北に位置している江上浦を漕いで遊んだ。
前回の漕査では針尾東町に小さな港を見つけたが階段が急でカヤック遊びには使いにくいため、出艇場所として近くにある小さな浜を使う事にした。
出艇の準備ができ、カヤックを浜へ降ろす。
さあ行こうか・・と思っていると、ちょうど8時になったのだろう。どこからともなくアメリカの国歌(星条旗)が流れてきた、ここは佐世保なので近くにアメリカ軍の基地か宿舎があるのだろう。しばらく聞き入っていたが、それが終わると2曲目が始まりそれが日本の国歌だった。在日米軍は毎朝日本の国歌も流してくれているのかな?
さあ出発だ。カヤックを押し、足を海に入れてカヤックに跨る。
何の抵抗もなく滑るように浮かぶカヤック。
波の無い江上浦はまるで鏡のように静かだった。
江上浦は波静かな大村湾でも特に静かな場所として知られているようだ。
その昔、風の力を借りて船舶が走っていた時代には、この場所は風が吹かないこともあって船乗りは苦労をしていたと言う、人々は風の無いそんな江上浦を『泣き浦』と呼んでいたそうだ。
ここからは時々適当にルアーを投げながら、北の湾奥へ向けて進んで行く。カヤックの上からルアーを投げるのも少しだが慣れてきた気もする。
途中左手に民間が見え、外国人の親子の姿が見えた。漕いでいると父親から「コンニチハ」と挨拶されたので、こちらも挨拶を返す。見ると小さな子供が僕をじっと見ていたので、カヤックの上から手を振ると、こわばった子供の顔もパッと明るくなり手を振り返してくれた、ただそれだけなのに、なんだかほっこりとした気持ちになれた。
それ以上は馴れ合う事も無く、振り返らずに真っ直ぐに漕いでゆく。
西海パールラインの橋脚の下あたりでルアーを投げてみた、なんとなくだけど、魚はこういう構造物の近くにいる気がする。5回ほど投げたところチヌを釣り上げる事ができた。サイズは39.5cm、タモがあって良かった。
途中は江上浦の島、弁天島を通過する。
島の周辺は浅場になっており、藻場も多くチヌが集まってきている。エサを食べているのかチヌは身をよじらせている。水面を叩く所があちこちから聞こえてくる。
この日は行程が長そうなので、漕ぐ時は頑張って漕いでメリハリをつける必要があった。
存外早めに江上浦の最奥までやってくると、砂浜と海岸があり上陸して足と腰を伸ばす。
海の最奥の場所はゴミが集まりやすいのか、海水も泡立っておりあまり綺麗な浜では無かった。
さあ、引き換えそう。
江上浦の最奥から折り返して南下する。ふと振り返ってみると男性と女性が民家から出てきて岸壁に腰を下ろしているのが見えた。
遠くなのではっきりとはわからないが、僕のカヤックを見に出てきたのでは無いだろうか?と思った。
岸を観察して上陸出来そうな場所を探すが、なかなか良い場所が無い。だがこれは最初からある程度予想できていた事で、最悪は大島まで漕ぐつもりでいた。
江上浦の江上町の港へ入る、湾内に浜があり上陸してみると、カヤック遊びにも使えそうななかなか良い出艇場所であった。
この先良い場所がなければ、次回はここから漕ぎ出しても良さそうである。
この後は湾から出て、大島と江上町の間の橋(江上大島橋)の下を通過して、大島にある港のスロープへ向かった。
針尾島と他地域を結ぶ橋ではありませんが、針尾島と同じ江上校区の大島を結ぶ橋が1988年に完成しました。
大島に住む人たちにとって「念願の橋」の完成でした。なぜなら、それまで大島に住む児童生徒は「手操り船」でロープを引っ張り、対岸の釜に渡り江上小学校に登校していました。
橋の横の公園には記念碑と当時使っていた「船」が残されています。
たかだか30数年前の出来事。大島の子どもたちは、大変な思いをして、それでも学校に通っていました。
佐世保市立江上小学校ホームページ
今日は頑張って漕いだので、けっこう疲れてきたが、テンポ良く漕ぐ。
そして大島の港へ到達。小さな港にしては停泊している船の数が多く、雑多な雰囲気だ。
スロープがあるのでカヤックを寄せて上陸してみたが、目の前の民間の飼い犬に吠えられる。
雑種だが目の優しい犬でどことなく愛嬌のある顔をしている犬だった。吠えられるというのはあまり良い気はしないのだが、この犬も犬としての仕事を全うしているだけなのだろうな・・
この後は大島を時計回りで一周して最初の出艇場所へ戻ってきた。
浜へ戻ると午前中より潮が引いていたようで、浜も広くなっていた。
さて、次回だが犬に吠えられたスロープを使って漕ぎ出そうと思っていたのだが、なんとなく心も重いので、出艇場所をなにか考えないといけないと思っている。ハウステンボスの向こう側から漕ぎ出して、逆走する手で行くのもありかもしれないな。