登山
2021年05月05日(水)
経ヶ岳・舞岳
2021年3月7日に歩く。
この日歩いた経ヶ岳(きょうがたけ)は、佐賀県最高峰の山であると同時に、多良山系最高峰の山である。しかし長崎の山は全体的に標高が低いので、最高峰とは言っても経ヶ岳は1,076m程度の高さしかない。
経ヶ岳の南東には多良岳、西6kmの場所には郡岳もあり尾根伝いに縦走も可能である。
予報ではいちおう曇りとなっていたが天気があまり良くない。
公営駐車場にバイクを停めて歩き始める。
駐車場から山を見上げると頭に雲がかかっていた。
ひんやりとしてすこし肌寒い日である。
駐車場から道を戻るとそこに道標が立っていてそこが登山口だ。
ここからはしばらくの間、小さな集落と畑などの間をぬけて道なりに歩いて行く。
道は続いているが、左手に水田の脇を登る道があるので、そちらへ進むのが正しい。
坂を下ってゆくと川があり徒渉する。
途中は『大払谷(おおはらいだに)』に沿ってガラ場を登る場面が多い。
岩に書いてある目印などをヒントに登ってゆく。
経ヶ岳山頂が近づいてくると、その急峻さに驚くが、登山道は折返しながら伸びて行くので、無理なく登る事ができた。
経ヶ岳山頂へ到着、多良山系の最高峰で標高は1,076mだ。
経ヶ岳はいちおう火山に分類されているらしい。たしかに特徴的なドーム状の山頂は溶岩が噴出して出来た地形を彷彿とさせる。
だが正確には噴火の記録は残っていないそうだ。 また標高1,000m以上の山としては日本で最西端に位置している、また九州100名山の一つらしい。
ここからは流石の展望で多良岳や五家原岳、大村湾を見渡すことができる。
山頂でしばらく休んでいると、トレイルランニングをしている人たちの姿も見られた。
さてここから舞岳方面だが、ちょっと道を迷いそうになるので、気をつけたい。
適当にボーっと歩いていると間違えそう。
舞岳方面へは山頂から中山越方向へ入って行くのだが(分岐は山頂からすこし外れた所にある)『中山越・金泉寺』と書いてある道標が目印で(目印なのだが指し示している方角がおかしい・・)、この場所でしっかり進む方向を確認したい、つまりコンパスは必須である。
下降路はなかなか急峻な下りで慎重に進んだ。太いロープが張ってあるので上手に利用して降りていった。
降って行くと舞岳への分岐地点だが“道標が弱い”のでボーっと歩いていると見過ごしそう。
ここから舞岳への道は踏み跡が薄いため、時折立ち止まって周辺をよくみて歩いた。
また地図では高低差があまり無いように見えるのだが“騙し”であり、地図で見る以上にアップダウンを感じる。
慎重にコンパスなど見ながら舞岳へ到着。
舞岳からの下山路、ここもコンパスを見なければ方角がわかりにくい、初見ではどこから降るのか分かりづらいと思う。
さて、この後だが、なぜか写真がほとんど残っていない。
この先の舞岳展望所までは、途中片側が切れ落ちたような場所もあり慎重な通過が必要となる。途中の展望所を過ぎた後も踏み跡が薄いため、慎重なルート取りが必要だった。季節によっては落ち葉で踏み跡が隠れて迷いやすくなりそうだった、経ヶ岳〜舞岳への縦走コースは登山入門者にはすこしばかり厳しいコースかも知れない。
経ヶ岳は標高は高くは無いものの、急峻な地形が連続して出てくるので、なかなか歩きごたえのあるコースだと思った。ファミリー向けのコースでは無いので、お気軽に挑戦するのはあまりおすすめはしない。
登山
2020年11月03日(火)
岩屋山・舞岳
2020年10月11日に歩く。
10月の朝もなかなかに寒い。バイクで大村から長崎まで走ると指先が冷えてジンジンしてくる。登山口に到着するまでが大変だ。それでもこれからどんどん寒くなってくるだろうから、今のうちに自宅から出来るだけ遠い山に登っておこうと思っているのだ。
さて今日登ろうと思っている岩屋山と舞岳は長崎市の北西部にある山だ、岩屋山は古くから信仰の山として崇められ、長崎七高山のひとつでもある。
この日もいつものガイドブックを参考にして、虹が丘町からのコースを使って岩屋山と舞岳を縦走する。
その後は式見ダムへ下山し、市街地をあるいて登山口へ戻ったが、街を使って元の場所に戻るのはあまりオススメはしない。
ガイドブックでは『虹が丘中央バス停』がスタート地点になっている、私はバイクで登山口へ直接乗り付けた。
登山口は岩屋神社の参道脇から入る。ここには神社の駐車場などもある(神社の催しが無い時に限って利用して良いとある)
神社の前から左の小道へ入る、ここが登山口だ。
周辺にはたくさんの車が停まっているし、何人も登山者の姿が見られる。
よく登られている山のようである。
登山口から、小径をたどって歩くと、まっすぐに伸びた杉の林である。
すっと伸びた立ち姿と明るい雰囲気で、意外にこういう雰囲気の場所は多くない。すこし嬉しい気持ちになった。
途中は何人かの下山者とすれ違う。岩屋山にだけ登って引き返してきたのだろうか?
すれ違いざまに挨拶を交わすと、みなニコニコしているのだった。
途中は何箇所か分岐があり、山中を縦横無尽に作業道などが走っている事がわかる。
先を歩いている壮年夫婦を後ろから若干強引に追い抜いて、息をはずませながら登ってゆく。
ここから急斜面になるので、適度に足を止めながら休み休み登る。
途中から山道は何度も折り返しながら、高度をゆっくりと上げ山頂付近へ出る。
岩屋山の山頂は広場のようになっており、中央には大権限の石祠が鎮座している、ベンチや各種の案内板が設置されている。
なんとなくほっこりとした雰囲気で、ゆっくりとくつろぐには最適の場所だと思う。
また岩屋山から、目の前に広がる景色もなかなか良い。
その昔、この周辺はひとつの大きい台地上の火山だったそうだ。
長い年月をかけて侵食し、今のような姿になったのだと言う。
そういう時間と空間のスケールの大きさを感じる場所である。
ひとしきり展望を楽しんだ後は次の山へと縦走する。
岩屋山の山頂からは、防火帯に沿って最初は緩やかに下って行く。
岩屋山から舞岳への下り、途中は急な下り坂が何箇所かある。
僕は下るだけだが、登ってくる人は大変だ。
岩山から十分に高度を下げて、舞岳との鞍部から舞岳へ向けて登り返す、ここもなかなかの急坂だ。
舞岳は古くは山城だったそうだが、この坂を登っての城攻めは厳しそうである。
城を攻める足軽の気分になって登ってみると、上から飛んでくる弓や長槍に刺されて死ぬ自分が容易に想像できて、心の中で苦笑いするしかない。
戦国の世に生まれなくてよかったな・・と愚にもつかない事を考えた所で、プッと吹き出してしまった(笑)
舞岳の山頂からは、視野は狭くなるが木々の間から遠くを眺める事もできた。
硫黄島大橋と硫黄島が見える。硫黄島の背後には高島や端島(軍艦島)がある。
あまり風光明媚とは言えない眺望ではあるが、何も無いよりはずっと良い。
舞岳城は、福田忠兼に築城された山城で(福田氏は大村氏の家臣であった)息子の兼親は大村純忠の娘を妻に迎えた。その年にこの山城は築城されたそう。
山頂には誰もいなかったので、地べたに座ってラーメンを作って食った。
具はソーセージと、長ネギ・キクラゲだ。
なぜ山でラーメンを食うかというと、いろんな理由があるが、もっぱら安くあがるからだ。
この後は舞岳から下り、式見ダム方面へ下った。
最初は舞岳から岩屋山へピストン山行しようかと思ったのだが、街を歩いて帰ろうと気まぐれに思ったのだが、これは失敗だったかもしれない。
式見ダムを通過して、街をとおって岩屋山の登山口へ向かうのは無理がありすぎた。
そしてバイクを回収して、家路へとついた。
岩屋山は展望も良く、適度に登りがいのある山だった。
舞岳も静かな場所でなかなか良かったと思う。