登山

2021年05月05日(水)

経ヶ岳・舞岳

2021年3月7日に歩く。

この日歩いた経ヶ岳(きょうがたけ)は、佐賀県最高峰の山であると同時に、多良山系最高峰の山である。しかし長崎の山は全体的に標高が低いので、最高峰とは言っても経ヶ岳は1,076m程度の高さしかない。

佐賀県鹿島市と藤津郡太良町および長崎県大村市の境に位置する多良山系に属する。

経ヶ岳の南東には多良岳、西6kmの場所には郡岳もあり尾根伝いに縦走も可能である。

経ヶ岳から黒木渓谷へ伸びる谷が『大払谷』でその左岸の尾根の一峰が“舞岳”となる。
詳しくは下の地図を参照
地図は拡大可能

予報ではいちおう曇りとなっていたが天気があまり良くない。
公営駐車場にバイクを停めて歩き始める。

標高325mに公営駐車場があるのでここから歩き始める。

駐車場から山を見上げると頭に雲がかかっていた。
ひんやりとしてすこし肌寒い日である。
駐車場から道を戻るとそこに道標が立っていてそこが登山口だ。

経ヶ岳登山口『つげ尾、経ヶ岳』の道標がある。

ここからはしばらくの間、小さな集落と畑などの間をぬけて道なりに歩いて行く。

小さな集落だ。
集落の中の急坂を登ってゆくと、右手に水田が見えてきた。

道は続いているが、左手に水田の脇を登る道があるので、そちらへ進むのが正しい。

道標が壊れていたので判断に迷った場所、ここから左へ登る。
水田の脇を歩く。
しばらくすると獣避けのフェンスがあるので開けて進む(開けたら必ず閉める事)
わかりづらい場所は道標やロープが張ってある。

坂を下ってゆくと川があり徒渉する。

川の徒渉があるが、水量は少ない。
対岸に道があるのでそちらへ渡る。
砂防ダムらしい場所があり、枯れた沢を渡る。
この周辺でよくみられた看板、よい目印となる。

途中は『大払谷(おおはらいだに)』に沿ってガラ場を登る場面が多い。
岩に書いてある目印などをヒントに登ってゆく。

ガラ場を歩いて登る。
途中にあったガイドブックにも記載のある水場、近くではカエルも鳴いていた。
マンサクだが、もう枯れかけているようだ。

経ヶ岳山頂が近づいてくると、その急峻さに驚くが、登山道は折返しながら伸びて行くので、無理なく登る事ができた。

ロープなどもある。
この先に山頂がある。

経ヶ岳山頂へ到着、多良山系の最高峰で標高は1,076mだ。

山頂の様子。

経ヶ岳はいちおう火山に分類されているらしい。たしかに特徴的なドーム状の山頂は溶岩が噴出して出来た地形を彷彿とさせる。
だが正確には噴火の記録は残っていないそうだ。 また標高1,000m以上の山としては日本で最西端に位置している、また九州100名山の一つらしい。

ここからは流石の展望で多良岳や五家原岳、大村湾を見渡すことができる。

天気は悪いが大村湾、長崎空港も見える。
あちらに見えているのは五家原岳、分かりやすい山で目印になる。

山頂でしばらく休んでいると、トレイルランニングをしている人たちの姿も見られた。

山頂にあったノート、書きたい人は何か書くといい。
なおこの場所にある三角点は『京ノ岳 一等三角点』となる。

さてここから舞岳方面だが、ちょっと道を迷いそうになるので、気をつけたい。
適当にボーっと歩いていると間違えそう。

舞岳方面へは山頂から中山越方向へ入って行くのだが(分岐は山頂からすこし外れた所にある)『中山越・金泉寺』と書いてある道標が目印で(目印なのだが指し示している方角がおかしい・・)、この場所でしっかり進む方向を確認したい、つまりコンパスは必須である。

ここで間違えると佐賀県のタワラギ山方法へ進む事となる。

下降路はなかなか急峻な下りで慎重に進んだ。太いロープが張ってあるので上手に利用して降りていった。

経ヶ岳からの急な下り

降って行くと舞岳への分岐地点だが“道標が弱い”のでボーっと歩いていると見過ごしそう。

“舞岳へ”と書いてある道標が目印だが・・

ここから舞岳への道は踏み跡が薄いため、時折立ち止まって周辺をよくみて歩いた。
また地図では高低差があまり無いように見えるのだが“騙し”であり、地図で見る以上にアップダウンを感じる。

慎重にコンパスなど見ながら舞岳へ到着。

小さく狭い『舞岳』の山頂だ。

舞岳からの下山路、ここもコンパスを見なければ方角がわかりにくい、初見ではどこから降るのか分かりづらいと思う。

ここから降るのだが、写真で見てもわかりづらい。

さて、この後だが、なぜか写真がほとんど残っていない。

この先の舞岳展望所までは、途中片側が切れ落ちたような場所もあり慎重な通過が必要となる。途中の展望所を過ぎた後も踏み跡が薄いため、慎重なルート取りが必要だった。季節によっては落ち葉で踏み跡が隠れて迷いやすくなりそうだった、経ヶ岳〜舞岳への縦走コースは登山入門者にはすこしばかり厳しいコースかも知れない。

わずかな手がかりがあった。
そして無事に下山できて駐車場までもどりバイクを走らせて帰った。

経ヶ岳は標高は高くは無いものの、急峻な地形が連続して出てくるので、なかなか歩きごたえのあるコースだと思った。ファミリー向けのコースでは無いので、お気軽に挑戦するのはあまりおすすめはしない。

登山

2020年01月27日(月)

郡岳で登山

2020/1/13に遊ぶ

大村市の郡岳は多良山系の最西端を守っている。郡岳へ至るルートとして、経ヶ岳方面からの縦走路もあるが、今回は野岳湖の駐車場から歩き、西登山口を使ってアプローチした、初心者や親子連れはよく整備された南登山口コ−スがお薦めとの事らしい、つまり今回はその逆コースとなる。

郡岳の位置、大村市の北方にある

GPSの航跡データ、拡大可

出発は野岳湖の管理棟がある大きい駐車場から。しばらく舗装路を歩いて進む。
車の往来もそれなりにあるので事故に巻き込まれないように注意して歩いた。

野岳湖ではキャンプや自転車、釣りなど様々なアウトドアアクティビティを楽しむ事ができる市民の憩いの場だ。詳しくは野岳湖の公式ページを。

ゴルフ場、大村湾カントリー倶楽部を見送る。
右の記念碑は、皇太子殿下ご成婚記念林碑、大正十三年、大村純英と書いてある。

ちなみに、大村市だけなのかよく分からないのだが、市有林にいちいち名前がついているのが面白い、他の場所でもこのような立て看板を見る事ができる。

舗装路をしばらく歩くと右側に登山口がある。
靴紐を結び直し、上着を脱いで山へと入る。

西登山口の様子
山へ入る
大村市の山は山中に横方向に溝が切ってある事が多い気がする、おそらく灌漑用の水路なのだと思う。
道は明瞭であり、道標もしっかりと管理されている。
ところどころで見る事ができるレスキューポイント番号。
分岐、右側にはさり気なく立ち入り禁止を暗示させる木の枝が置いてある、このようなサインを見逃すと山で迷う原因となる。
歩いてゆくと、ふと明るい場所へ。
九州電力の送電線
連なってみえる送電線
『郡岳登山道 あと8km』、情報量が少なすぎて何があと8kmなのか分からない。
途中でみかけた謎土管。何箇所かでみかける。
トラバース気味に進むと、前方に岩場が見えてくる。
岩場へ到達

ここが『坊岩(ぼうのいわ)』と呼ばれている場所だ。前方には遮るものがなく、すばらしい眺望が得られる。この場所こそがこの旅のハイライトとなる場所だ。

郡岳の西中腹にそびえ立つ岩が坊岩、今から1200余年の昔、和銅年間、高僧行基(ぎょうき)が大村へやって来たとき、波間から飛んだ怪光を追って郡岳の中腹に登り、釈迦、阿弥陀、観音の三尊を発見し、これを祭って太郎山大権現と称したとされる。そのため坊岩と呼ばれるようになった。(出典:おおむらの史跡 大村市)

野岳湖、大村市が良く見える、長崎空港や臼島も。

今日はあまり良い天気とは言えないが、すばらしい眺めを堪能する。

『武留路山』
こちらは『鉢巻山』、左が野岳湖
北側に見える、おそらく陸上自衛隊の演習場、大野原高原
大村湾、川棚町の大崎半島も見えた。

この坊岩の裏に小さい道標があり、山頂へ向かう。
この場所若干紛らわしい強い踏み跡がある、迷い込まないようにしたい。

郡岳山頂へ到着、ちょっと昔まではパラグライダーの飛翔地点として使われていたそう。

遮るものが少ないため風が強く寒い。パラグライダーの飛翔地点として使われていた事もあるそうだが、この風を捕まえていたんだろう。

郡岳は826mとある

山頂で写真を撮影していると、他の登山者も登ってくる。

『郡岳 三等三角点』を有する
立木は邪魔だが、なかなかの良展望

山頂からすこし外して風を避けられそうな場所を探し、ここで昼飯を取る事にする。

寒い時は食う、すると身体があたたまる。

半額で119円という驚異的な安さの弁当も持ってきた。
日本経済が心配になる値段だ。


カップラーメンの味噌もうまい。

1分ぐらいで簡単に設営できるシェルターが欲しくなった。
中に入ってお湯を沸かせるものがあれば欲しい。
みつけているのだが良い塩梅のものがない。

下山開始、山頂を突き抜けて南登山口へと抜ける
下山途中でみかけた、朽ちかけた道標。坊岩へ直行できるルートがあるようだ。
途中にあったベンチ、休むのに丁度良い。

ガレ場に出てすぐに林道へ出る。

ずっと林道を歩いても良いが、再度山へ入ってショートカットする
南登山口へ到着。こちらにはお手洗いもあるし、周辺には車を停めるスペースもある
野岳湖へ戻ってきて、旅を終える

久しぶりの登山で心も身体もリフレッシュ・・(笑)できたのだった。
やっぱり山は良い、次はどこへ遊びに行こうかなあ。

登山

2018年11月06日(火)

黒木から五家原岳〜中岳〜西野、縦走

2018年10月7日

黒木から横峰越を経由して、多良山系の五家原岳へ登る。
その後北上し中岳へと縦走※、西野へ向かい、黒木へ逃げるという計画を立てた。

※縦走(じゅうそう)とは登山の方法のひとつ、一般的には山頂に立ったあと下山せずそのまま次の山へ向かうことを指す。登山用語。

最初にGPSのログを張っておくので、詳細をしりたい方はじっくりと見てください(地図クリックで拡大)

僕のコースタイムは休憩時間、昼飯の時間なども含んでいます。

今日は黒木第2駐車場へバイクを停めた。
車がたくさん停まっている。

アドベンチャー気分を盛り上げるクロスカブなのだ。

台風の後なのでいろんな物が地面に散乱していた。

駐車場を出て少し車道を下って行き山の方へ向かう(道標はある)

気持ち良い田舎道だ。

『さわがにキャンプ場』を横目に見てずっと歩いて行く。突き当りのT字路を左折する。このT字路から『小林林道支線』だ、そこから程なく登山口へ到着する。

ここが五家原岳の登山口だ。

林道から沢へ下る道が伸びていた。

道標もあるので間違える事はないだろう。

※ちなみにここで沢へ降りずに小林林道支線をさらに登ってゆけば、途中の砂防ダムの所へ通じている(はず)沢の渡渉に自信がなければ砂防ダムまで進むのも良いと思う。

沢へ下ってゆくと、台風の後という事もあって若干水量が多い。
林道を歩いていた時に引き換えしてきた2人組を思い出していた。

(これを見て引き返してきたんだな・・・)

沢の石は濡れていて、もしかしたら滑るかもしれない。

ダブルストックを出して補助として使い。
石の上に足を乗せて、念入りにぐいぐい・・と動かして靴のグリップを確かめる、うん大丈夫。
慎重に濡れた岩の上を歩き沢を渡る。

岩が滑らないか、ひとつひとつ確認して歩いた。

沢を渡りおえて、一安心。

そこからは道は明瞭、途中には道標などもしっかり完備されていた。

沢からこんな道へ入る、岩がゴツゴツしている。

道標はしっかりと設置されている、『大モミ』の文字も見える。この先に巨木があるらしい。

しっとりと濡れた植物。

この先の砂防ダムの所には林道も通っていた、
林道へは入らずに砂防ダムの脇を登ってゆき進むのが登山としては正しいコースだ。

砂防ダムの脇を登ってゆく。

しばらく針葉樹の森だが、左側には沢が流れており雰囲気は悪くはない。
立ち止まって深呼吸をすれば森の香りで胸がいっぱいになる。

途中で『大モミ分岐』の道標を見て、立ち止まって考えるが今日は立ち寄らない事にした。いつか訪れてみたい。

ここからも谷沿いを登ってゆくルートで、しばらく沢の音を聞きながらの登坂だ。
何度か簡単な渡渉がある。

何度か沢を横断して進む。

誰が設置したのか、手製の道標も便利に見て進む。ただし手製の道標は間違っている事もあるので、注意して見る。

ちょっと苦労した沢の横断。ルートファインディング※力が試される。

※自分が歩くべき場所の最適解を見つけ出す事をルートファインディングと呼ぶ、登山用語

こんな場所も(これは振り返って撮影)ロープが張ってある、渓谷のトラバース※、難しくは無い所でもひとつひとつ確実に進む事が大事だ。

※トラバースとは、斜面を横方向に横断すること。登山用語

大モミ分岐から30分ほどで林道の出合いへ出る。15分ほど林道を歩き、
途中から道標を見て山へと入る。

林道へ一度合流する。

林道の様子。地層が露出している。

気持ち良い林道だ。

林道から再び登山道へ、道標を見て進む。右側には滝もあった。

30分ほど登り、横峰越へ到着。

横峰越の様子。

横峰越の『越』というのはいわゆる『峠』の事だ、山を超えるときの道が通る最も標高が高い地点の意味。

ここまで来てやっと五家原岳をロックオンした気分になる。
尾根通しに登り、ときどき出てくる岩場、鎖場は簡単に抜ける。

鎖場の様子。無理に鎖を使わずとも良いレベル。

五家原岳の山頂に到着。

五家原岳に到着して、最初に目に飛び込んでくるのがこの建物。

長崎県をエリアとするテレビジョン放送・FMラジオ放送の諫早中継局が設けられている。

ちょうどロードバイクにのった人が顔を赤らめながら、ハァハァと息を弾ませ登ってきた。五家原岳の山頂は車道が走っており他にも自転車で登ってきた人が見られた。

すこしばかり周辺をうろちょろする。
車で来れるのだから、自販機ぐらいありそうだな・・と思ったのだがなかった。

ちなみにお手洗いは少し下った所にあるそう。

五家原岳(ごかはらだけ)の標高は1057.3m。
長崎県の大村市と諫早市との境界にあり、多良山系に属する山だ。
周辺の展望が良く、大村湾、長崎空港、経ヶ岳なども良く見えていた。

大村湾、臼島など見えた。

特徴的な山容の『経ヶ岳』、長崎の山初心者の僕でもすぐに覚えて分るようになった。

汗をびっしょりかいていたのでシャツを脱いで乾かす。

山頂を取り囲むようにベンチが並んでいる。

今日の昼飯はここで食べる。
山頂では他にもカップルがいて、イチャイチャしながら二人でソーセージを焼いていた。

別にいいのだが、妙に仲が良いので、こっちまで照れてしまった(笑)

昼飯はトマトチキンのカレーメシ、写真には無いが焼き鳥の缶詰なども一緒に食べた。食後にはインスタントコーヒーも飲む。

食事を終えて、中岳を目指す。

道標を見て中岳へ。

フェンスの脇をぬけて進む。

鎖場の急坂などもあった。舐める事なく慎重に進む。

雑木が美しい稜線の一場面。

モチノキ科の『クロガネモチ』、赤い実はまずくて食えたものじゃない。

途中でみかけた『守られた木』全周が細い木に守られている。どうやったらこうなるのか。

途中にはツツジシャクナゲが見られる場所もあるらしい(4〜5月頃)、折を見てたずねてみたいと思う。

中岳へ到着、少し離れた場所には三角点らしきものもあったが、三角点では無い様だった。

中岳山頂の様子。雑木に囲まれて展望は無い。

アザミの仲間

キノコ

『諫早多良山系レスキューネットワーク』

山田記念造林地

十字が切ってある謎の石、古い境界線(?)

西野へ到着

前回もここから下った。出来るだけ知っている道を下山路として使うというのは
山での僕流の生き残り術。道迷いからの遭難は下山中に起こりやすいのだ。

ところで、この先、下山中ちょっとしたトラブルがあった。

途中の沢で顔を洗おうかと思って帽子を脱いだら、メガネが勢いよく飛んでいって沢の中に落ちた。

冷たい沢の中に手を突っ込んでそれらしい所を探ってみるもぜんぜんわからない。

水は勢いよく下流へ流れている。もしかして、もうここにはなくて下流へ流れていってしまったのか・・と絶望し諦めかけたのだが、もう一度すみからスミまで探ってみようと、川底を丁寧に手探りで探す。手が凍りそうなほどつめたい。ん・・カチッとした感覚・・・・・あ!!あった!!あった!!・・よかった〜〜。

冷たすぎてメガネのガラスは曇りっぱなしだ。

メガネがなくても、山道は歩いて下れるのだが、バイクに乗るときに困る、要メガネなのだ。

この後は、普通に歩いて下山した。

無事にゲザン。

逃げるヘビ。

濡れた道路は苔でつるつる滑るので、注意深く歩く。
第2駐車場からバイクで家路についた。

この周辺の山はそんなに標高が高くないので、もう若くはない僕にも
ある程度余裕をもって歩く事ができる。ちょうど良いサイズだな・・などと
考えながらバイクを走らせた。

登山

2018年10月25日(木)

黒木から国見岳、多良岳

2018年9月23日

装備を背負って、バイクに跨がり田んぼの匂いを感じながら走る。
黒木小学校の前を通り、黒木林道を経由して、黒木駐車場の第3駐車場へ到着。
今日はここから多良岳に登ってみたいと思う。

まずは今日歩いた山行のGPSの航跡を貼っておきます(地図クリックで拡大)

黒木から多良岳まで登りのみのデータ。帰りは同じ道をピストンで帰った。

この先は規制されていて車両は通行禁止。

第3駐車場の様子。普通は第2駐車場に停める、第2にはお手洗いもある。

バイクを停め、ヘルメットを脱いで帽子にかぶり直す。

駐車場にいた男性に挨拶をするが、完全無視される(笑)
初っ端から幸先のよいスタートだな・・と苦笑い。

特に準備運動などせずに装備を整えて出発だ。

なお、この登山をするにあたって参考にしたのは『分県登山ガイド 長崎県の山』

第3駐車場からすぐそこ、チェーンが張られており、掲示板などで登山者に注意を促している。

久しぶりの登山だが、特別な気負いはない。

のんびり行こうじゃないか。

しばらく舗装路を歩く、舗装された道はうっすらとまとった苔で滑るので注意しながら歩いた。
草の上に器用に乗ってとぐろを巻いているシマヘビ。
道から右側に外れた場所に小さい沢があった。
『ゲンノショウコ』だろうか。
曲がった『落石注意』の看板。
頭上を見上げると、破れたネットに落石がひっかかっている。いつ落ちてきてもおかしくない。
ここは八丁谷。
猿田彦大神を祀る。

八丁谷の看板から、登山口はすぐ。

ここが登山口。

山の中へ細い道が伸びている。
傍らには棒などが立てかけられ杖として使える。
道標を見ると、金泉寺まで1.8km、多良岳まで2.5kmとある。

またこの場所からは中山峠や経ヶ岳などへも向かう事ができる分岐点だ。

解けた靴紐を結び直し山へ入る。
さあ、長崎の山、多良岳、どんな表情を見せてくれるかな。

進んでゆくと、しっかりと道が伸びている。

人が歩いてなくて、荒れ果てていたら嫌だな・・と思っていたのだが、そんな事も無く。


登山口にあった、杖を借りた

こんな感じの道、雰囲気は決して悪くないぞ。
綺麗な水が流れていた。

途中は右脇に小さい沢が流れせせらぎの音を聞きながら歩く、ひんやりとした空気も気持ちが良い。

小さい沢を何度か渡る。

道は何度もくねくねと蛇行しつつ高度を上げてゆく、この日のために無理の無い程度に走り込んで来た、その成果が出てるようで、あまり息がきれる様な事もなく、気持ちよく歩けた。

レスキューポイント番号

道中は何箇所にも『レスキューポイント』が設定されている。
緊急時にはレスキューネットワーク協議会に電話を入れて、ポイント番号を伝る。
レスキューポイント202を通過したな・・と頭にいれておくと良い。
また、代表電話番号を携帯にいれておくと尚よいと思う。

※安易な救助要請は迷惑になるし、場合によっては救助費用などを請求されるかもしれないので注意してほしい。

沢の渡渉。

ここは木に杓子(しゃくし)がかけてある。
ザックを下ろし、帽子を脱ぎ、メガネを外して顔を洗う、沢の水を口に含み喉を湿らす、冷たくて美味しい。

このような簡単な岩場もある。ロープが張ってあるが、決して難しくはない、特別な技術も必要ない。

登ってゆきながら、何人かの登山者とすれ違う。
あまりまじまじとは見てないが、皆ちゃんとした登山用の装備だ。

全体的には道がわかりにくい場所は少ない。
道標も設置されているし、手製の案内板や、テープなども巻かれている。
ところどころで小さいケルンもあり良い目印になる。
すこしわかりにくい場所でも、周囲をよくみれば道に迷う事は無い。

石垣で囲まれた場所がある。炭焼きの跡だろうか・・?
途中にあった『オオキツネノカミソリ』の群生地。8月頃に見る事が出来るそう。また今度見に行ってみたい。

ここまでくると稜線(山の頂上と頂上を結ぶ線)はもうすぐ。

『西野』へ出る。ここから金泉寺まで10分だ。

さて、登山口からここまでは、どちらかといえば谷側の沢に近い位置を通って登り詰めるルートだった。このように谷沿い沢沿いのルートは古道にみられる特徴だと聞いた事がある。古い時代から歩かれてきた歴史のある道なのだろうな、と推測する。

西野から金泉寺方面へと進む。
ことの外、森の雰囲気も良く、長崎の山もなかなかやるな・・と正直関心してしまった。

途中ですれ違う人に道を聞かれるが、この山域を歩くのは初めてなので良くわからないと伝えると、ポカン・・と不思議な顔をされた。

本当はよく知りもしないのに、知ったふりをして、道を教えるというのは山の中では危ないので、対応としてはこれで良かったと思う。

金泉寺近くとトイレと水場。

水場は水量豊富。

山小屋がある、長崎にもこんな山小屋があるんだな・・とちょっと意外に感じた。

県立の金泉寺山小屋は、土日祝日のみ営業。
県立という事だがたぶん長崎県立だと思う。
また夏場には、下界との気温差が5℃以上にもなるので、避暑地としても人気らしい。

何人かの登山者が中で休んでいた。
いつか無駄に泊まりに行ってみようと思う。
テントを張る事もできるそうだ。

多良山系ガイコツ図、良く見ると今日歩いてきたルートが書かれていない?
小屋には緊急連絡用の無線装置が設置されている。このような装備は珍しい。

ちなみに僕は個人的にアマチュア無線機を携帯してきている。アマチュア無線4級の免許を持っているのです。

金泉寺小屋の料金表。ビール300円、山の中では安い方だと思う。ちゃんと冷えてるのかな?地図も売ってある。どうせなので他の領域の地図も売って欲しい。

» 金泉寺山小屋のホームページはこちら

弘法大師が建立したと言う、金泉寺。

今回はかるく拝んで通過。また今度じっくり見てみたい。

» 金泉寺のホームページはこちら

金泉寺からは舗装路へ入り登り進む。

この周辺では、どこからともなく人が集まっていて往来が活発だ。
佐賀県側からも人が集まっているんだろう。
人が多いと安心感がある。

道標を見て、途中から山へ再び入る。
道標と階段、そして鳥居。人も沢山歩いている。
鳥居をくぐった所にある、小さい祠、『役の行者像』を祀る。

役行者(えんのぎょうじゃ)さんは、修験道の祖。

下駄を履いた石像が『役の行者』、その前には一本歯の下駄が供えられている。

その昔、役行者が様々な活躍をして庶民のために尽くし、一本歯の下駄をはいて各地を巡っていた。里の人たちは、その徳を慕い行者の像を祀ったのだという。

この像が祀られていると言う事は、多良岳が修験道の場として知られていたと言う事になる。

梵字が書かれた石版。
途中登山道脇でみかけてたキノコ。これは舞茸じゃないかな。帰りにちょっともらおうかと思ったが、帰る時はもう無かった。

鳥居をくぐって多良岳へ登る道は、なかなか険しい。
肩で息をしながら斜面を上がってゆく。
途中は石像などが点在しており、聖地の中を歩いているのだなと気付かされる。

鎖場がでてきた。

ガイドブックでは鎖場などあると書いてあったので、どのくらい厳しい道なのかと身構えていたのだが、難しくは無い。たぶんこの鎖が効果を発揮するのは冬場、岩などが凍りついた時だ。

雑木が美しい急坂である。ロープなど補助的に使い登る。
左側が落ち込んだ鎖場だが、しっかりと足で立てるスペースがあり危険は感じなかった。

登って行き、多良岳と国見岳の稜線へと出る。
近くにある国見岳へ向かう。

国見岳に登頂。

国見岳は多良岳の西120mぐらいの場所にある小ピークで標高は996mだ。
山渓のガイドブックではこの場所が多良岳になっている。
多良岳とは特定の場所では無く、この周辺の山の総称なのだという意見もあると言うが、山名に混乱が見られる。

国見岳の山頂は周辺が雑木に覆われてはいるものの、一部展望が開けており、遠方に経ヶ岳や大村湾を見る事も出来た、狭い山頂だがなかなか良い場所だと思った。

周辺は雑木に囲まれているが、木々の隙間に眺望がある。
国見岳からの眺望。

国見岳から多良岳はすぐそこ。

階段を登って登頂。

多良岳山頂直下にある現前地菩薩(?)

多良岳の山頂に到着、多良顕現が祀られている。

山頂をうろうろ。満足したので、昼飯を食べる。

お湯を沸かして、出前一丁を作った。具は無い。

シンプルすぎる昼食、そして熱いお茶を2杯飲む。
チョコなども適当に頬張る。

この後は写真は無い。
登ってきた登山道を引き返して下山した。

長崎での初めての登山、どこからどうやって登ろうかと悩んでいたのだが、一度登った事でなんとなく次にやるべき事が見えてきた気がする。

登山

2018年10月20日(土)

長崎の山、多良山系について調べてみた。

長崎へやってきて初めての登山。

まずは大村市の背後にその存在感を示す、霊峰、多良岳に登ってみようと思う。

その前に長崎の山の事は良く知らないと言う人や、なによりも自分自身のために、これから紹介する多良岳を有する、山域『多良山系』について軽く調べてみたいと思う。

多良岳の主峰と言える、『経ヶ岳』『多良岳』『五家原岳』など、大村市側から見える山々、それぞれの山を繋ぐ稜線の向こうは佐賀県となる。山の背後に見えているのは有明海だ。

多良山系は、長崎県と佐賀県の県境に連なる山々の総称だ。その幅は東西に25km、南北に35kmにも及ぶという。この山々は長年にわたり、時代や場所を変えて、様々な種類の岩石が吹き出し形成された複合火山地帯なのだと言う。

この山域は、山頂に近い場所は急峻だが、全体的にはなだらかなところがひとつの特徴だと思う。

多良岳を中心として、山域が低く広がっているのがわかる。

高さはそれほどでも無いが、標高のわりには山の懐が深い、そのため林道などを使って山腹にある登山口から登り始める山行スタイルが主となりそうだ。

中央部は等高線が狭いが、全体的になだらかな地形だ。

全体的には緩やかなのだが、登山者視点でみるとなかなか急峻な印象を受ける。
実際に国土地理院の地図などを見ても、その特徴は顕著で、山頂に近い所は険しさがあるものの、全体的には大村湾の裾野まで、非常にゆるやかな等高線を描いているのがわかる。

また背後には有明海、目の前には大村湾が広がっており海に挟まれている格好となっているのも面白い。

多良山系から望む大村湾

昭和7年発行の『九州の山々』(北田正三 著)には多良山郡からの景勝が以下の様に紹介されている。

“大村湾の風光は驚くべきものがある。その内海の美しき波、四圍(しい=取り囲む事)の山々の倒影(水面に逆さにうつる事)、交通の至便、相まって将来必ず旅客の注意が集まるであろう。多良岳は登山の対象として興味多い山にも拘わらず登行する人も少なく、あまり知られていぬ点などは、大村湾の景勝と共に誠に惜しいものである。”

『九州の山々』(北田正三 著)

以上で多良山系の簡単な説明を終える。

他にも書ける事はあるのだが、またいずれ紹介したいと思う。

さて、次回から山行記録をつづってゆきたいと思う。

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